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    • 2017.05.11 Thursday
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    竹内浩三辞典【みどり葉の五月】

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      筑波日記 昭和19年5月12日


       みどり葉の五月。ぼくのたん生日である。


       外出した。麦が穂を出していた。

       十一屋に大岩照世夫妻がきていた。

       宗道まであるいた。
       みどり葉の五月


       面会にきてくれると、
       ぼくは、もっと、もっと
       ものを云いたいと、あせりながら、
       ものがあまり云えなくなる。


       いつもそうだ。どうでもいいようなことに、ことばをついやしてしまう。
       かすれた接触面をもつ。
       赤いうまいリンゴであった。
       下妻でミルクを飲んだ。カツとテキをたべた。スシをたべた。
       街をあるきまわっていた。


       クローバの草原の上でやすんだ。

       もっとものを云いたいとおもっているうちに、時間がすぎた。
       酒をのんだ。


       みどり葉の五月。むぎばたけの中を帰った。
       『春をまちつつ』と『種の起源』と『日本書紀』をもってきてくれた。


       夜、すこし読んだ。
       夜、銃ケン術をした。

       

       

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       

       5月12日生まれの浩三さん 1921年大正10年のこと。

       

       「春を待ちつつ」は、島崎藤村のエッセイ集。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      竹内浩三辞典【隊長室に入る作法】

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        JUGEMテーマ:戦争・紛争

         

        筑波日記 昭和19年 五月八日 

         

         隊長室へ入る作法と云うやつはなかなかむつかしい。

         

        ノックする。

         

        戸をあける。

         

        まわれみぎをして、戸をしめる。

         

        またまわれみぎして、

         

        けいれいして、

         

        「中隊当番まいりました」と云う。

         

        まわれみぎは二度するだけだけれども、なんどもくるくる廻るような気がする。

         

         

        そして、それがワルツでもおどっているようでたのしい気さえする。

         

        その場で、入ったものと、出ようとするものとがかさなって、

         

        二人でくるくるまわりをやるなどは、たのしいものでもある。

         

         

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         

        これ、実際にやってみると ほんとうに なんだか 面白い。

         

        でも、この時代に 「隊長室に入る作法」を 「ワルツでもおどっているようで たのしい」と

         

        思い、記述していた兵隊が ほかにいただろうか。

         

        浩三さんの 明朗性と着眼点の真骨頂である。

         

         

         


        竹内浩三辞典【香水】

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          JUGEMテーマ:戦争・紛争

           

           

           

          筑波日記 5月28日

             十一屋書店に 姉から 小包がきていた。こないだ送った日記のことが
             書いてあった。

                  梅肉エキスやら、ジンタンやら、ふんどしやら、万金丹やら
             針や糸やら、小包にはいっていた。

                   ありがたいことと思った。津村秀夫の「映画戦」も入っていた。

                   香水も入っていたが、これはどうしたらよかろう、
             と思った。

          「香水」をなぜ送ったのだろうかと、姉松島こうさんにおききすることがあった。

           

          こうさんは、最初 「そんなことがありましたやろうか」といわれたので
          ああ もう お忘れなのかと 思ったけれど、

          「浩三が、部隊から荷物をおくってきますと、洗濯物で いっぱいなのですよ。
          それも、いったい いつのものかと 思うような 汚れて くさくなったものばかり
          なのです。それで、きっと 体のほうも ずいぶん匂いがするのではないかと
          思って 香水を送ったのでは、なかったでしょうか」

           

          と答えてくださった。

           

           

          2008年の5月のことであった。

          詳しくは、ブログ「未定稿」竹内浩三へ↓ 

          http://miteikou.exblog.jp/8157098/

           


          ヴィヴェ・ジョワイユ 歓喜して生きよ 

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            ”Vivez joyeux”「ヴィヴェ・ジョワイユ」
            ”vivez”は
            ”vivre”(生きる)という動詞の活用形で命令形。

            ”joyeux”は
            (楽しげに)という形容詞で男性系。



            http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/katudo/vivez%20joyeux.htm より 転載

            五月のように  


            なんのために
            ともかく 生きている
            ともかく

            どう生きるべきか
            それは どえらい問題だ
            それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
            考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる

            こまる前に 次のことばを知るととく
            歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ

            理屈を言う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ
            信ずることは めでたい
            真を知りたければ信ぜよ
            そこに真はいつでもある

            弱い人よ
            ボクも人一倍弱い
            信を忘れ
            そしてかなしくなる

            信を忘れると
            自分が空中にうき上がって
            きわめてかなしい
            信じよう
            わけなしに信じよう
            わるいことをすると
            自分が一番かなしくなる
            だから
            誰でもいいことをしたがっている
            でも 弱いので
            ああ 弱いので
            ついつい わるいことをしてしまう
            すると たまらない
            まったくたまらない

            自分がかわいそうになって
            えんえんと泣いてみるが
            それもうそのような気がして
            あゝ 神さん
            ひとを信じよう
            ひとを愛しよう
            そしていいことをうんとしよう

            青空のように
            五月のように
            みんなが
            みんなで
            愉快に生きよう

            。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

            「五月のように」は、竹内浩三20歳の誕生日につくられた作品。
            【手紙】 一九四一・五・十三  姉宛 高円寺   

             十二日は、ぼくの誕生日でした。「お」の字は、おくりものに、キセルをくれました。
             「や」の字は、かびんをくれました。椎名町で、夕飯をごちそうしてくれました。夜の八時から、池袋で、おさけを飲みました。「お」の字と「や」のj字と「り」の字でした。さけ屋で、ぼくは、自分のつくった詩を、ろうどくしました。「お」の字がその詩をとてもほめて「ざんねんながら、すごい詩じゃ」と言いました

             飲んで出てくると、「や」の字は、胃がいたいと言って、道端に寝ころんでしまいました。そこへ、お巡りさんが来て、ぼくたちを連れて行きました。交番の前で三時まで、せっきょうされました。お巡りさんにとっては、良い暇つぶしでしょうが、こちらは、そうはまいらず、なんだか、息ぐるしくなってきて、「ちょっと失礼」と、せっきょうの途中で、隅に行って、胃の中のものを、ドードー、と出しました。すると、お巡りさんは、興をそがれても、また始めから、せっきょうを始めます。そろそろ寒くなってきて、ようやく許しが出たが、三時ですので、電車もありません。椎名町の友だちの家まであるいて、そこに泊り、おかげで、今日は学校をさぼってしまいました。
              めでたさも  ちゅうくらいなり  おらがはる
             ちかごろ、たばこがありません。あったら、すこし送って下さい。たおるも、スフで結構ですから、送って下さい。

            「日本が見えない」藤原書店発行 小林察編より

            「五月のように」(森節子さんHP)より転載させていただきました。
             

            ぱんじゅう

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              ぱんじゅう

              伊勢の名物  小麦粉などの生地を今川焼のような銅板の型で焼き、中にあんこをいれたお菓子。
              外宮参道に「七越ぱんじゅう」が明治のころより営業開始した。ぱんじゅうの他、まんぷくまん、 かき氷などあり
              繁盛していたが、平成12年廃業。
              その後 2店が営業開始し、今はあんこの他カスタードや伊勢茶など8種類の味があるところも。

              竹内浩三「金銭出納帳」(山中時代 昭和13年ごろか)によると

              パンジウ   二ツ  2 銭 

              とある。ぱんじゅうは、1つ1銭だったのだ。今は、三ツ橋ぱんじゅう 1個 70円。
              ちなみに、「チウインガム」は、10銭、アイスケエキ(アイスキャンデー)4本 4銭 の記載もある。






              ↑ 三ツ橋ぱんじゅう  




               

              パイカン

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                パイカン とは パイ缶 パイナップルの缶詰のこと。
                当時日本統治下だった台湾で、大量に生産されていた。

                筑波日記 
                5月27日 


                 田中准尉にたのまれて、こんど、又変わったアメリカの飛行機の標識をかいた。

                 きょう乾省三が面会にくるので、臨外をくれとたのんだ。まえからたのんであったのでくれた。
                 (臨外・・・臨時外出)

                 ひるめしを半分喰って出た。吉沼へ行く途中で、自転車にのった乾省三に会った。
                 十一屋書店の二階へ上りこんだ。
                 乾省三のカバンの中から、まるで、手品つかいのそれのように、たべものがたべものが出てきた。

                 いなりずし、うなぎ、のりまき、にぎりめし、パイカン、キャラメル、リンゴ、ドーナツ、バター、かんぴょう、たけのこ、しいたけ。
                 たべていた。

                 十一屋がサイダーと親子丼をごちそうしてくれた。


                 東京へ行こう。

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                乾省三さんは、竹内呉服店の番頭さん。

                敏之助さん(浩三さんのお兄さんの子ども、甥だが、兄弟のように育つ)のいた
                京都の部隊にも
                面会にいっていたと、縁者の方よりお聞きしました。
                上官への手みやげに、服地などをもっていかれたとか。

                戦後、竹内家の縁者が上京する際に下宿を探したり、
                呉服店がなくなったあとも、「番頭」として主家に仕えた人だいう。
                省三さんは、「浩三さんは、自分から飛行部隊に志願していったのだから」といわれていたそうです。

                「臨外」だったのに、外泊までできたのは、省三さんの手土産のおかげか。













                 

                【飯盒に そこにでも】

                0
                  2002年 11月16日 小林察氏によって 新史料が発見された。
                  詩華集「培養土」(1941 北川冬彦編)の余白に、浩三がかきつけたものだ。
                  小林氏は「詩というより叫び声のような浩三の言葉があらわれたのである」と記している。

                  三篇の詩と「御通知」と題した一文 そして、辞世のような歌二首 

                  その詩のひとつが以下である。


                  詩をやめはしない
                   
                  たとえ、巨きな手が
                  おれを、戦場をつれていっても
                  たまがおれを殺しにきても
                  おれを、詩をやめはしない
                  飯盒に、そこにでも
                  爪でもって、詩をかきつけよう

                  (「骨のうたう」藤原書店より)


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  シベリア抑留から帰還した画家香月康夫は、飯盒の底に 収容所の地図を描いていた。

                  はんごうのふたや 底に 言葉や絵をかきつけた兵隊がたくさん いただろう。

                  浩三は、比島で何をかいたのだろうか。


                   

                  肋木 ろくぼく

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                    【肋木 ろくぼく】

                    木製または金属製の梯子状の体操用具。
                    高さ2.5m程度 スウェーデン体操(
                    懸垂運動による姿勢矯正など)に使われる。

                    スウェーデン体操は、日本では1913年(大正2年)に
                    纏められた「学校体操教授要目」によって終戦まで学校体育の基本形式とされた。
                     






                    以上、ウィキペディアより
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%8B%E6%9C%A8

                     

                    行軍 1 

                    白い小学校の運動場で
                    おれたちはひるやすみした
                    枝のないポプラの列の影がながい
                    ポプラの枝のきれたところに 肋木ろくぼくの奇妙なオブジェに
                    赤い帽子に黒い服の ガラスのような子供たちが
                    流れくずれて かちどきをあげて
                    おれたちの眼をいたくさせる

                    日の丸が上っている

                    校舎からオルガンがシャボン玉みたいにはじけてくる
                    おれのよごれた手は ヂストマみたいに
                    飯盒はんごうの底をはいまわり 飯粒をあさっている
                    さあ この手でもって「ほまれ」をはさんで
                    うまそうにけぶりでもはいてやろうか

                    雲で星がみえなくなった
                    まっくらになった
                    みんなだまっていて タバコの火だけが呼吸している
                    まだまだ兵営はとおくにある

                    村をこえて
                    橋をこえて 線路をよこぎって
                    ひるま女学生が自転車にのっていた畑もよこぎって
                    ずんずんあるかねばならぬ
                    汗がさめてきた うごきたくない

                    星もない道ばたで おれは発熱しながら 昆虫のように脱皮してゆくようだ

                                                                                       以上 青空文庫より転載 
                                                                                    底本:「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店


                    筑波日記 4月2日
                    校庭ノハシニ ドコノ学校ニモアルヨウニ 鉄棒ヤ肋木ガ アルンダ
                    ソシテ マダ芽ノ出デナ イポプラト アカシヤノ木ガ 並ンデイルンダ


                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                    行軍1は、1942年秋に入隊した三重県久居町の中部第三八部隊で訓練していたときに書かれた。

                    初冬だろうか、葉のおちたポプラの運動場でひるごはんとなった兵隊たち。
                    「六キロ行軍」という訓練では1時間で6キロすすむペースだから、ほとんど駆け足。
                    しかも30キロくらいの装備を背負っているから、ヘロヘロだ。
                    まさに、「うごきたくない」だ。

                    子どもたちは、競って肋木をのぼっている。
                    浩三さんにとっては、まぶしすぎる光景で「眼がいたく」なったのだ。

                    「昆虫のように脱皮してゆく」は、
                    「冬に死す」の「死んでゆくよ ひとりで こごえた蛾みたいに」とおなじく悲しい終末を予測させる。











                     

                    竹内浩三辞典 【井上義夫先生】

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                      【井上義夫先生 いのうえよしおせんせい】

                      宇治山田中学で井上義夫先生は、2、4、5年と浩三を担任し、
                      「幾何の天才」「天真、飄逸、ヤヤ放縦、態度動作自ラ奇。悪メザル男」(4年)
                      「天真デ、稚気ニトンダ楽天家、ヤヤ我儘。画案・漫画ヲヨクス」(5年) と
                      浩三を評価している。

                       井上義夫氏は 新任の数学教師として宇治山田中学に赴任され、
                      竹内の卒業と同時に東京府立三中へ転任、戦後は東京教育大学教授を長くつとめられ
                      今も矍鑠(かくしゃく)としておられる。現に日本数学教育学会名誉教授である。
                       井上先生の「自分の人生の跡をたいせつに保存しておけ、きっといい記念になる」という
                      おしえが、後年「伊勢文学」や「筑波日記」を遺す原動力になったことを考えると、ぼくは
                      井上先生の教育の力に今さらながら、敬意を払わずにはいられない。(小林察)

                      宇治山田中学「竹内浩三 個人調査表」より
                               
                      担任教師           井上義夫 (2,4,5年)   駒田喜平次  (3年) 

                      気質                   多血質                    多血質

                      行動の傾向          天真                       表質的

                      態度                   ヤヤ剽軽                  軽躁
                                              稚気にトム    

                      服装                  無頓着                      無頓着

                      習慣性癖            諧謔人を
                                             喜ばす おどける          遺忘

                      学習方面            創作 工夫                    注意分散型

                      才幹                 企画的                        企画的

                      学業の好悪        好 幾何 地理                  ナシ
                                            悪  英

                      思想方面の
                         長所               明朗 寛大                    ナシ
                                              画案漫画を
                                              よくする

                         短所              ヤヤ不規律                  意志弱し            

                      なお、駒田先生の全体評価は、
                      「無邪気なれども、抑止的ならず。動作態度もまた奇なり。」
                      駒田先生は、昭和の初年から戦後まで漢文をおしえらえた山中名物教師の
                      ひとりである。長い鼻ひげをたくわえておられたので「仁丹」の愛称で
                      親しまれていた。典型的な旧制中学教師であろう。

                      以上「恋人の眼やひょんと消ゆるや」(小林察 1985年 新評論) より、抜粋しました。


                      1937年9月29日 日記より
                        
                        朝礼がヒカエ所であった。ヨー拝するとき、頭が前のヤツの背中にあたるので
                      曲げて横へつっこんだ。中西がキュウと笑った。オレもクウと笑った。
                      笑い虫が眼をさましたのだ。「モクソウ(黙想)」ひやっ、タイヘンだ。
                      笑わねばよいが。ククク、笑い虫が腹をクスグル、クククククーク。
                      そのとき、森田がゲクンと音をだした。グクーグーと笑った。しまった。

                       第一限の授業中に井上先生から呼ばれて、「笑った」ことについてひどくしかられ、
                      佐藤先生のトコへ行ってあやまってこい。

                       「朝礼の時、笑いました」と頭を下げた。そこで井上先生もきて、二人で
                      説教ひとくさり、くさる。くさる。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      新任で、山中に赴任してきた井上先生はまさに「坊ちゃん」先生だったことだろう。
                      浜地小十郎のような早熟でバンカラな生徒や浩三さんのような奇行者たちを相手に
                      奮闘しておられたことだろう。

                       1937年(昭和12年)に、 宮城遥拝を「ヨー拝」と書くとは、現代の女子高生のようだ。(杏)











                       

                      竹内浩三辞典 【木俣老人】

                      0
                        【木俣老人 きまたろうじん】

                        筑波日記より

                        3月22日
                        コノ機会ヲノガシタラ、モウ ウカビアガルトキハナシ。
                        シマイマデ 下積ミデアルト、木俣ガ云ウ。 見習士官ノコトデアル。 

                        ヒルカラ、ジャガイモ畑ノ 肥マキデアッタ。
                         ー中略ー
                        コレホド臭イモノハ、マタトハナカロウト思イ、ソノコトヲ、先棒カツギノ木俣ニ云ウト、

                        コノニオイハ、罪ガノウテエエゾヤ、世ノ中ニハ、モット臭イ、
                        モットケッタイナ ニオイノモノガ、イクラモアルゾヨ ト云ッタ。

                        木俣ハ、31歳ノ医学士デアル。 
                        ボクハ、バカラシクナッテ、カラカラト笑ッテバカリイタ。

                        3月23日
                        夜、木俣ガ 木下ノ本デロシヤ語ヲ 勉強シヨウト思ウト云イダシタ。
                        ドウセ一兵卒デスゴスノデアッテミレバ、ボクモ ロシヤ語デモヤッテミヨウカトモ考エタ。    

                        3月29日
                        14時コロ、風呂ガワイタト云ウ知ラセガアッタ。ユクト、木俣老人ガ ノンビリトツカッテイタ。 

                        5月29日
                        木俣老人が、こんどの2年兵は、実にのんびりしていて、なかなかいいケイコウだと云っていて、
                        ぼくもそれに賛成しておいた。


                        6月8日
                        昼から 引率外出であった。成田行きと千葉行きと船橋行きとにわかれた。
                        木俣老人が どちらにしようと云っていたら、千葉にしようと、ぼくは、即座に云った。      


                        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                        「木俣老人」と浩三さんに(たぶん)密かに名付けられていた「医学士」の木俣さん。

                        浩三さんと気の合う兄のような存在だったのだろうか。

                        個人的には、俳優の「眞島秀和」さんをイメージしているのですが。

                        3月23日の

                        「世の中には、もっと臭い、もっとけったいな臭いのものが、いくらもあるぞよ」

                        は 箴言だ。(杏)













                         

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